Live Cafe Rooster

地階から胃薬

皆様、「地階から胃薬」をクリックしていただきありがとうございます。
このコーナーはルースター総支配人による不定期更新のコラムです。
ルースターの事、総支配人の事、出演者の事、お客様の事をはじめ、ルースターにまつわるいろんな事柄をご紹介しております。
お茶でも飲みながらゆっくりとご覧くださいませ。

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ほんとうにワニ肉なんですか?

2007年11月1日(木)

当店にはおすすめメニュー、「ルイジアナ風ワニカレー」という世にも珍しいカレーがあります。
初めて来られたお客さんの多くは「ワニって本当にワニなんですか?」と口を揃えたようにおっしゃいます。
そりゃそうです。
ワニ肉なんてそこらではまず売っていないからであります。
ワニ肉は日本においてはある種、ゲテモノの空気すら流れているかもしれません。
しかし、それは日本人の感覚と言えなくもありません。
なぜならば、けっこう外国ではワニは普通に食べられているのです。
ニューオリンズに行ったときも平気でワニ肉食べていました。
よく世間では「ワニ肉は鶏肉と似ている」などと言われていますが、しかし、やはりワニはワニ。
そのまま焼いて食べるとなんとなくワニ臭さ(表現不可能)がある感じがします。
このワニ臭さをどうやってクリアするかが非常に問題でしたが、当店のあかねシェフが研究に研究を重ねて開発したのが当店のワニカレーなのです。
しかし、カレーと言っても普通のカレーにワニ肉を入れただけでは何も面白くありません。
そこで、そんじょそこらでは食べられないオリジナルカレーを完成させたのでした。
何しろ見た目がまずワニ色(緑色)です。
ところが、これが大好評で来るたびにワニカレーをご注文するお客さんもいるほど。
まあ、ものは試です。
まだルースターにお越しいただいてない方はぜひワニカレーにチャレンジしてみてくださいね。
あ、ワニカレーはルースターグループの中では本店だけのメニューですのでご注意くださいませー。

昭和30年代の風景の記憶。

2007年11月3日(土)

昨夜、「ALL WAYS 三丁目の夕日」なる映画がテレビで放映されており、これを録画して見たのであります。
私はまったく知らなかったのですが、この「三丁目の夕日」というのは単行本が55冊も出ている超人気漫画なのだそうです。
この映画にあるように昭和30年代経済的に発展した今日の日本の基盤の時代。
白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機などがやっと家庭に登場し始めた頃であります。
映画は33年の日本橋の裏通りを舞台にしているようですが、昭和37年生まれの私が育った葛飾区金町などは年代こそ少し後になれど、子供の頃の記憶とシンクロする部分も映画には数多く、涙無しには見られない映画でありました。
特に子供の頃の心細い気持ち、そして大人の今はこんなだけれど、いずれは「ビッグになってやるぞ」という両方が自分にフィットしてしまったからであります。
こういう気持ちは今大人になった多くの日本人があてはまるはずで、映画にしてやられたとも言えなくもないわけです。
しかし、私にとっては映画は「娯楽」として捉えていますので、むしろ「してやられたい」と思って見ているわけです。
その意味ではばっちりやられまくりまして大満足です。
映画には懐かしい看板や車やらたくさん出てくるのですが、その中でも東京タワーが徐々に出来上がっていく様は「日本はこれから変わりますよ」と当時の東京の方々に視覚でうったえていて、まさに東京タワーが人々の希望の象徴であったのだなと思わされます。
で、私は思うのであります。
ここに初心があると。
今はまだ小さなライブハウスであるルースターが大きく羽ばたく日を夢見て、がんばっていこうと誓うのでした。

ショッキングなニュース。

2007年11月4日(日)

中央線の某駅にあるジャズクラブが閉店するというニュースが飛び込んできたのです。
このお店は30年くらいは営業していたのではないかと思われるのですが、なんとも悲しいお話です。
詳しい理由はわかりませんが、営業していくのが厳しいのだそう。
しかし、誰かが引継ぎをしてくれれば存続は可能ともそのお店のホームページには書き込みもあります。
実は現在の方も同じように引継ぎをしてオーナーとなられたという経緯があるそうなので、我こそはと思わん方が立候補して欲しいものであります。
気持ち的には及ばずながら私が名乗り上げたいところではありますが、現在そんな状況ではなく、現実的には不可能。
歴史あるジャズクラブの灯がひとつ消えてしまうというのは実に寂しい。
なんとか巻き返しはできないものかと思うのであります。
できれば世の中、ジャズに限らず、生演奏を楽しめるお店がいっぱいであって欲しい。
そうすればミュージシャンがいっぱい仕事にありつけるし、生演奏を楽しもうという人も増えるのではないでしょうか。
というか、世の中がそうなるように私はありとあらゆる方法でがんばってみようと思うのでした。

ボストンは大志を抱く。

2007年11月8日(木)

毎週木曜日は英会話教室に通っています。
今日行くといつもと違う先生が代理で来られていました。
先生の出身地はアメリカのボストン。
そう、あのレッドソックスのボストンであります。
先生いわく、ボストンは冬は零下状態で寒いのだそう。
なんとなく想像がつかなかったので私は先ほど、ボストンについて調べてみました。
すると「へー、そうだったのか」という驚くべき事実が発覚したのでありました。
驚くべき事実そのひとつめは、緯度が北海道と同じだということでした。
レッドソックスの本拠地はいわば日本ハムファイターズと同じように寒い地域の球団だったわけです。
イメージ的には野球は寒い地域よりも温かい地域の方が雪などの影響が無いため、練習しやすい。
つまり寒い地域のチームはそんなに強くは無いと思っていたのでちょっと意外な感じがしたのでした。
それと驚くべき事実そのふたつ目はなんとボストンのあるマサチューセッツ州と北海道は姉妹都市(州)の関係にあったということです。
あの「少年よ大志を抱け」の言葉を残したクラーク博士がこのマサチューセッツ州の出身であったこともそれの要因ともなったようです。
さて、先生の実家はボストンですが、なんとセカンドハウスはフロリダにあるとのこと。
その理由は冬はボストンは寒いのでフロリダで過ごすのだそう。
うーむ、なんと優雅なのでしょう。
ところが、仕事場がボストンなら冬もボストンです。
つまり、フロリダへ行けるのはお母さんと幼少時期の子供ということに。
一瞬、「いいなあ」と思いつつも、お父さんはやはり大変ですね。
そんな先生も今やお父さんになられております。
日本では英会話の先生。
お父さんは大変なのであります。

がんばれ専門学校生。

2007年11月11日(日)

音楽の専門学校は都内にけっこうな数があるのであります。
音楽の専門学校の学科にはボーカルやらギター、ベースなどの楽器のコースのほかにもいろいろな学科があります。
たとえば、イベント制作や音響の学科もあるのです。
つい先日、某専門学校の生徒さんが「うちの学校のコンサートのチラシを置いてください」とたずねてきました。
彼らはコンサートなどの制作の勉強をしているそうです。
こうしてチラシを配布させているのは他ならぬ学校の先生の指示によるもの。
学校外でのコンサートの宣伝、「それも勉強だ」と先生は教えているのでしょう。
つまり彼らがルースターに来たのは先生の指示したお店というわけです。
彼らは言ったこともないライブハウスなどに出向いては「チラシを置かせてください」と緊張の面持ちで回っていきます。

実は、当店のスタッフにも音楽の専門学校を卒業したものがいます。
彼も夢を抱えて東京の専門学校にやってきたのですが、就職率が高いとうたっている専門学校を卒業した割りには音楽の現場で働けるようになったスタッフはごくわずかだと言っていました。
スタッフの彼はルースターに入ってから1年間くらいは「ダメだし」される日々。
学校で教わった知識のうち現場で必要なものは1%にも満たなかったからです。
ですから、彼は毎日が大反省の繰り返し。
しかし、ここで負けてしまっては夢を持って上京し、2年間専門学校に通ったことがまったく無駄になってしまいます。
やる気だけは人一倍だった彼は今ではすっかり無くてはならないスタッフになってくれました。

社会に出てみないとわからないことはいっぱいあります。
これはどんな業界でも同じだと思います。
チラシを持ってきた彼は「新人アーチストの発掘」が夢なのだそう。
10年後、20年後に彼の発掘したアーチストの音楽を聴けたらいいなと思うのでした。

久々のジャズ喫茶。

2007年11月12日(月)

ちょいと高田馬場に用事があり、歩いていると「マイルストーン」という名前の看板が一瞬目の片隅にに入ってきました。
一度、通り過ぎるも、気になり看板のところまで行ってみると、ジャズ喫茶でありました。
大昔、ジャズ喫茶と言うと、GSバンドがライブをしているACBとかのことを指したのでありますが、現在(と言ってももうほとんどないのですが)、ジャズ喫茶というと高級オーディオでジャズを流す喫茶店ということになります。
この高田馬場の「マイルストーン」は現在でいうところのジャズ喫茶のど真ん中に位置するいわゆる正統派ジャズ喫茶でありました。
他と大幅に違う点は本棚が壁一面にあり、それは読んでもいいし、買ってもいいというところでしょうか。
その本棚には私も少しだけ書かせていただいた雑誌もチラホラでした。
少ない私の経験から言わせてもらうとジャズ喫茶のコーヒーで当店よりもおいしいコーヒーを飲ませてくれるお店に出会ったことはありません(なんちゃって。笑)。
ちょっとばかり、わくわくしながらコーヒーを待つと、残念ながらミルクやお砂糖が市販のよく見るような「アレ」。
「うーむ、やはりそうか。残念なり」と肩を落としたのでした。
しかしながらですよ、ジャズ喫茶、これこそ究極の商売であるのです。
何が究極の商売かと言いますと、ジャズ喫茶は喫茶店でありながら純粋に喫茶店ではなく、言ってみれば、そこのお店のご主人がジャズが好きなあまり毎日レコードを聴いて生活したいから開いたという超趣味の延長のお店だからであります。
勝手な解釈をすればジャズ喫茶はそこのオーナーのおうち。
そのおうちに上がらせてもらってオーナーの持っているレコードを聴かせていただく。
そういう場所。コーヒーなどはついでなのです。
日本中の、いや世界中のジャズファンは「こういうお店をやりたいなあ」と一度は憧れるお店、それがジャズ喫茶。
ところが、ジャズ喫茶は商売としてやっていくには喫茶店の中ではもっとも不経済です。
なぜならコーヒー一杯でレコードを2枚、3枚、中には数時間もねばって聴いていくお客さんが多いからです。
しかもですよ、目をつぶってじっくりレコードを聴いているお客さんしかいませんから商談なんかで「ちょっと喫茶店に入って話しましょうか」というお客さんは白い目で見られること間違いなし。
ゆえに普通の喫茶店と比べるとお客さんを大幅に厳選しているのがジャズ喫茶。
そういう特殊な商売ですから、「俺もジャズ喫茶やりたいなあ」と思って脱サラしようものならすぐに「ああ、サラリーマンやめなければよかったなあ」と反省するはず。
世の中のほとんどのジャズ喫茶が閉店してしまった現在、1970年代からやっておられるであろう「マイルストーン」の存在はまことにもって貴重。
つまり絶滅が危惧されるジャズ喫茶の中でこうして現存されておられることは表彰状に値すると言っても過言ではないはずなのです。
私の場合はジャズ喫茶ではなく、生演奏のお店を開いてしまったわけですが、私の性分にあっているのはやはり生演奏でしょう。
なぜならレコードには誰も「イエーイ!」って反応してくれないからです。
もしも同じ演奏が目の前でやっていたら確実に「イエーイ」なのにです。
それとレコードをじっくり聴いてみるとやはりその音のバランスはレコードであって生演奏とは異なります。
これは音のバランスだけを考えるとレコードの方が勝っている場合が多いかもしれませんが、現実的に考えるとサックスの音はジャズ喫茶でかかる音量よりも大きいし、ドラムだって大きい。
まあ、ライブとレコードでは音の大きさよりも違うポイントはいっぱいありますけれども。
念のために書きますとジャズ喫茶よりも生が勝るというわけではありませぬ。
なぜならまた高田馬場に行くことがあれば私は間違いなくマイルストーンでコーヒーを飲んでしまうからです。
「ジャズ喫茶やれていいなあ」と思いに行くためです(笑)。

ライブハウスが天職という若者よ。

2007年11月13日(火)

数年間当店に務めていた大事なスタッフのひとりが音楽とは別の仕事を目指したいというのです。
「まじ! や、やめないでー」という気持ちはあれど、私ごときが一人の人間の人生を左右してしまってよいのだろうか?
そう自問自答をしてみると「その道に進ませてあげるのがよかろう」という結論に達してしまうのです。
大変お世話になった分、応援できることはしてあげたい。
彼女が抱える不安部分をちょっとだけだけれどもサポートしていこうと思うのでした。
とはいえ、彼女が抜けてしまったらその穴を誰が埋めるのか?
これはとても大変なことであります。
本来ならば即戦力の人材が必要になるわけですが、そこはさすが彼女。
しっかり、後輩スタッフを育てていたのでした。
ですので業務ができないというわけではないのですが、問題は人員数。
忙しい日など彼女無しには回せません。
何しろお客さんの顔を見ただけでボトルは出せるし、そのお客さんの好みの席も案内できるますし、料理は手早い…。
しかし、嘆いてばかりはいられません。
一晩じっくりと考えた私はある作戦を思いつくのでした。
それは音響専門学校の生徒、もしくは卒業生に一から、あれこれ覚えてもらうというものでした。
先日、「音響の学校に行ったからといって必ずしも音楽の現場で働くことはできない」と前のコラムに書きました。
たとえ大きなPA会社に就職してもPAを触らせてもらえるようになるのはいったいいつの事か。ほとんどは駒使いに終始してしまうわけです。
それを知っている学生がどれくらいいるかわかりませんが、「もしもそうなるくらいなら当店のように毎晩がプロミュージシャンというお店で働くほうが楽しいのではないか」と解釈してくれる学生がいないとも限らない。
むしろ、「生涯、ライブハウスで働きたい」という志のあるものならば当店のような正統派なお店で働くことがよかろうと私は勝手に思うのであります。
ではなぜ、音響もできる人材を求めるかについてですが、これはルースターがもしも、さらに拡大したとしたら必ず必要な人材となるからです。
もっと言うなら私が病気にでもなろうものなら代わりに店を仕切ってもらえる人材も必要。
もっと言うなら、最近は月曜日も営業するようになったため、私はまったく休みがない。
「他の店のライブ見てくる」ことができなくなっちゃったのでした。
つまり、他の道に進みたいという彼女に匹敵する、いや、その上を行くような「ルースターは私がいれば大丈夫ですよ」という人員を育ててみるということなのです。
そのためにはPA(音響)を学んでいて、さらに「ライブハウスこそ私の天職です」とはっきり言い切る人員を見つけることが必要だと考えたわけです。
というわけで世の音響を勉強している、もしくは勉強した君、「我こそその人材なり」というはっきりとした意思を携えてルースターの扉をたたきたまえ。
ちなみに各専門学校にはその旨を通達させていただいたのでした。
実は「そちらでアルバイトは募集していますか?」という問い合わせはよくあるにはあります。
しかし、そのほとんどが「自分はバンドをやっているのでプロの演奏を見て勉強したいのです」というのが志望理由なのです。
それが理由では普通の会社の面接では不合格となりますよね。
ルースターだって一応会社ですからこういう方は「腰掛感覚なんだな」としかこちらは思わないのであります。
なのでマジな応募だけをお待ちしております。
っていうか応募があるのか非常に不安だなあ…。

ビリー・ブランチ&アリヨ来日す。

2007年11月18日(日)

ブルースの本場、シカゴからハーピストのビリー・ブランチとピアニストのアリヨさんが来日したのです。
この二人はシカゴで一緒にバンドをやっていますので他にもメンバーはいるのですが、今回の来日は二人だけ。

なーんで日本にやってきたのかと申しますと横浜にあるストーミーマンデーというライブバーが15周年ということで呼んでしまったからなのでした。

いやー、どえらいことですなあ。

普通は「せっかくだからツアーで何箇所かライブします」ということになるところですが、今回はストーミーマンデーの15周年記念での来日だから他はライブやらない約束なのです。

つまりすべての面倒はストーミーマンデーが見なくてはならないのです。
これはまじで尊敬しちゃいます。
なかなかできるのもではありませんよ。
なぜなら単独でのライブですから、飛行機代や宿泊代を含めてギャラはとんでもない金額になるわけです。
ですので当然チケット代金を相当高くせねばなりません。

結果、この二人を呼ぶためにチケット代金は1万2千円!
いやー、ブルーノートなんかよりも高いわけですぞ。
これでチケット売れなかったら大変。
おっそろしくて私なんぞできませんなあ。

ストーミーマンデーは以前は泣く子も黙るエディ藩さんがやっておられたのですが、現在はかずきさんという美人社長様にバトンタッチされております。

このストーミーマンデーはルースターと出演者がけっこう同じだったりしていたので、以前から行ってみたいお店でしたが15周年にしてやっと訪れることができました。

シカゴ勢を迎え撃ったのは元シカゴ在住ベーシストである江口弘史、そして今や彼の相棒となった波多野哲也(ds)、そして中央線のブルースマン、小安田憲司(g)、いずれも当店でおなじみの顔ぶれであります。

さて、ライブがはじまるともはや横浜は空気は一変、シカゴになります。
幸いMCの英語は私でもわかるような内容でめちゃ楽しく過ごせました。

ハーモニカソロがちょっと長いかもと感じると「ビーリー・ブランチ!」とナイスタイミングでアリヨさんが紹介します。
やはりこの辺はうまいものですなあ。

ブルースマンの多くは客席に乱入して女性に向かって演奏するのですが、ビリーもやはりその手できました。
これはビリーがエッチなのではなく(エッチかもしれないが)、ライブを盛り上げるためにしているのです。
わかっているものの満席の店内を練り歩くその姿はやはりブルースマンそのもの。

ビリーはシカゴで観ましたが、今回、ステージと私の距離はたったの2メートル。
この距離でのライブはさすがに未体験。
チケット代の12000円もこっちからシカゴに行ってライブを観ることを考えれば安いものだ(安くはないが)と思わされます。

というかまたシカゴに行きたいと思わされました。
ライブ後にビリーやメンバーの皆さんとしばし談笑。
アリヨさんいわく「荻窪ルースターはもうシカゴでもけっこうみんな知っている」とのこと。
来週20日にノースサイドでWABIさんというハーピストがシカゴからやってきてライブをするのですが、アリヨさんに「たまには顔出してくれとWABIに言っておいて」と伝言を頼まれました。
シカゴにいるもの同士なのに日本で伝言を伝えるとは世界は狭いなあ。

それにしてもストーミーマンデー、凄いなあ。
ルースターもがんばろーっと。

オーストラリアのジャズピアニスト。

2007年11月23日(金)

昨日、ご来店いただいたお客さんから、「店長さん、きっと気に入るからぜひ行ってみてください」と言われ、チラシを渡されました。
見るとモンゴル料理のお店のチラシです。
そのお店は巣鴨にあり、なんとモンゴル音楽の生演奏をやったりするのだそう。
世界の音楽に精通している私(笑)ですが、さすがにモンゴルの音楽は知りません。
生演奏は馬頭琴という楽器を使用します。
それはチェロと二胡を足して2で割ったものを二胡よりにしたような楽器でモンゴルの音楽にはなくてはならない楽器だそう。
その名の通り、馬の頭が楽器のヘッド部分にかたどられています。
楽器と音楽も興味がありますが、なんと言っても料理は気になるところです。
なかなか休みが無いのですが、いつしか行って見ようと思います。
さてさて、モンゴルの音楽ではなく、来月、オーストラリアのジャズピアニストが来日します。
名前はビル・リスビー。
来月の12月6日にノースサイドでジャズピアノソロライブです。
まさに南十字星のきらめきのようなピアノを弾かれます。
興味がある方はノースサイドへぜひ。
http://musicishere.com/artists/Bill_Risby/Stories
ここでデモが聴けますよー。

中高年の音楽、ここにあり。

2007年11月26日(月)

中高年にとって、人生の楽しみとはなんだろうか?
なーんて書くととても哲学的な話になってしまうのですが、実はあるサイトで「中高年が楽しめる音楽はもうテレビではほとんど見かけなくなってしまった」と書いてあったものですから、それに触発され、ちょいと私も書いてみようかと思います。
さて、先日、勧誘系の50代の営業マンがルースターにやってきてこう言うのです。
「若い頃は生でジャズをよく聴いていたのですが、最近は行かなくなりました」と。
話を聞いてみると、どうやら今のジャズシーンは長いこと聴いていないからもう知らないミュージシャンばかりなのではないか? とのこと。
では若い頃は誰を聴いていたのかと思い聞いてみると、ルースターにも出演している方々の名前がちらりほらり。
「昔のジャズはよかったよ」と自慢気な営業マンさんですが、当店のスケジュール表を見せるとあんぐり。
「うわ、みんなここで演奏しているのですか?」だそう。
ちょっと遠い目をする営業マン…。
30年間も仕事ばかりしていて音楽から離れてしまっていたが、ジャズはその間も相変らずのミュージシャンが演奏していたのか…、そういう目です。
そうなのです。
「昔はよかった」というのは営業マンさんが生演奏の現場を離れていただけの話。
みんなしっかりミュージシャンをやり続けていたのです。
つまり、テレビは相変らず今も昔も若者にうける音楽をやっていますが、若い頃にはそれを見ていたものの今はついていけない。
これは当然です。中学生向けの音楽なんか中高年には面白くありません。
テレビにはあまり登場しませんが、30年前に活躍していたミュージシャンはジャズに限らず現役でやってらっしゃる方々がとても多いのです。
そして当然ながら当時よりも味のある演奏をされています。
なのでちっとも「昔はよかった」なんてことはありません。
中高年の皆様が生演奏の現場、ライブハウスに足を運ぶだけで一気に昔も今もなくなります。
ぜひ中高年の皆様、ルースターにお越しくださればと切望いたします。

大切な人。

2007年11月27日(火)

今日出演のYANCYのサイトを見ていたら気になる言葉を発見しました。
それは「大切な人」という言葉であります。
「いったいなんだろう」とよく読むと「J Jazz net」というジャズのサイトの中の「大切な人」というコーナーにYANCYのインタビューが掲載されているそうなのです。
ふむふむ、「YANCYの大切な人というのはいったい誰なのかな?」そう思って開いてみるとどうやらピアノの恩師である袴田先生ということでした。
「へー、そうなんだあ。この人がいたから今のYANCYがいるわけね」と納得。
しかし、これって自分の場合、誰なんだろうと記憶をたどってみることに。
この人がいたからという意味では、私の両親は音楽の先生でありますし、この人のおかげでという意味では実に多くの方が思い浮かんでしまうのです。
その中でも完全に「この人がきっかけである」という意味で考えるともうこの人しかいません。
それは葛飾区立金町中学校のクラスメイト、鈴木くんであります。
中学生の私が何気に鈴木くんの家に遊びに行ったときのことです。
鈴木くんはおもむろにフォークギターと明星の歌本を取り出して歌ってみせるではありませんか。
これは衝撃的でした。
なにしろ私の両親はクラシック一本やり。
家にはショパンやベートーベンなどクラシックのレコードだらけ。
「テレビの歌番組なんて低俗なもの」というしつけをされていた私でしたが、ギターを弾いて歌う鈴木くんの姿はある意味、スーパースターのようでありました。
なぜなら音楽と言うものはすっごく勉強するものという家庭環境に育つ私にとって、中学生がいとも簡単にギターを弾いて歌うなんてありえないと思えたのです。
ギターの弾けない私は指をくわえて見ているだけ…。
その晩、「お父さん、ギター買ってください」とお願いしたのは言うまでもありません。
どこか嬉しそうな父が買ってきたのはあろうことかクラシックギター!
親としては「わが子もついにクラシックに目覚めたか」と思ったのでしょう。
さて、あれからもう30年以上にもなりますが、この事件があってこそ、今、私がライブハウスをやっているのには間違いありません。
いやいや、そういう意味では私にとっての大切な人は鈴木くんということに。
うーむ、なんか違うなあ。