目と鼻の先。
2008年8月2日(土)
当店の2号店、ルースター・ノースサイドには3つの柱があります。
ひとつは通常のライブ、そしてもうひとつは貸し切りによるライブ(音楽教室の発表会なども含まれる)、そして3つ目はセッションです。
毎週月曜日はブルースセッション、水曜日はジャズセッションを行っています。
このほかにも単発でのセッションを行うことがありますが、明日、8月3日(日)はまさにその単発でのジャズセッションデー。
セッションリーダーに日本一のジャズトロンボーン奏者であります向井滋春を迎えます。
しかもホストバンドのドラマーは世界のナベアツではなく、元祖、世界のナベサダのバンドの元ドラマー、守新治さん。
こういう方々と一緒に演奏をできる機会はそうそうありませんよね。
詳細は以下。
18:00〜22:00くらいまで
参加費:2000円+オーダー/見学だけ:1000円+オーダー
セッションリーダー:向井滋春(tb)
ホストバンド:向井滋春(tb) 井上祐一(p) 三浦とおる(b) 守新治(ds)
スタンダードジャズを中心としたセッションです。トローンボーンの方はもちろん、その他の楽器、ヴォーカルの方の参加もお待ちしております。
ご来店の際に受付カウンターにてお名前と担当楽器を記入してくださいませ。順番にステージへお呼びします。
いやー、私も観にいきたいところですが、残念ながら毎晩本店勤務であります。
いえいえ、残念ではありません。本店もしっかりライブがありますもの。
毎晩ライブが聴ける環境にいる私でありますが、言ってみればお店ではつねに働いているわけでお客さんとして聴いているわけではありません。
実はお客さんとして観にいきたいライブが山のようにあるのですが、なかなか外には出れませんなあ。
お客さんには「マスターは毎晩ライブが聴けていいですね。うらやましいですよ」とよく言われます。
まあ、幸せものには違いありませんが、すぐ目と鼻の先の2号店にも聴きに行けないのはなんとかしたいところではありますなあ。
阿久悠。
2008年8月3日(日)
昨夜「ヒットメーカー阿久悠物語」なるテレビ番組の録画を観ました。
言うまでもありませんが、阿久悠は歴代シングルレコード売り上げ1位の作詞家です(ちなみに2位は松本隆、3位は小室哲哉)。
昭和37年生まれの私にとっては70年代の歌謡曲は染み付きまくり。
そしてその多くが阿久悠の作詞によるものであります。
30年以上経っても歌詞を見ずとも歌えてしまう曲だらけという恐ろしいほどのキャッチーさはいったいなんなのか?
私は興味津々で番組を観たのでありました。
昭和12年、兵庫県淡路島で生まれた阿久悠は子供の頃に戦争の終結を迎えました。
昭和12年というのは実は私の父が生まれた年でもあります。
父も新潟の空に飛ぶB29を見たことがあると言っていました。
阿久悠というのはペンネームで、学生時代から作文が得意でラブレターの代筆なども頼まれるなど文才を発揮。
その際に代筆を頼んできた友人に「親友」と呼ばれましたが、「いや親友ではなく悪友だ」と答えています。
そこからこのペンネームが生まれたようです。
東京にあこがれ、やってきた阿久悠は最初は広告代理店に務めていましたが、放送作家をしながら最初の作詞をします。
最初の作詞はスパイダースのB面。
2枚目はモップスのシングルの依頼でしたが、それはなんと朝までに仕上げて欲しいと頼まれたもの。
阿久悠が考えたその曲名は「朝まで待てない」になっていました。
その後のスター誕生での活躍からはみなさんご周知の通り。
私がこの番組で興味深かったのは、スターではなくアイドルという言葉すら阿久悠が言い出したことだったということ。
阿久悠は歌詞だけでなくアイドル黄金時代を創った人だったのでした。
スター誕生で突如現われた何も知らない女の子は、その子の雰囲気にぴったりの歌を歌わせることよりもむしろ、「時代を読めば、こういう歌をこの女の子が歌えば世の中が驚くぞ」というアイデア優先で売れていきました。
女の子やご両親の意思や願望はそこには無縁。
「先生の言うとおりにすればいいのだ」という絶対支配的な世界があったわけです。
アイドルは詞を与えられ、振り付け指導などを受け、歌っていたに過ぎないのです。
アイドルはシンガーソングライターではありません。
しかし、その歌詞はともすればまるでその本人のメッセージであるかのような気分にさせられました。
そして我々は今でもくっきりと記憶しているのです。
アイドルになりたい少年少女は後を絶たず、スター誕生への出演希望者はのべ700万人まで膨れ上がったそう。
こうなるともはや社会現象でしょう。
ところが、アイドルという職業についてしまうと、世の若者のように青春を謳歌することはできなくなってしまいます。
その意味ではキャンディーズが解散の時に、「普通の女の子に戻ります」と言っていたのはまことにもって正直な気持ちではなかろうかと思わされます。
私はギターを持つ中学校3年生まではテレビで流れてくる流行歌と両親がかけているクラシックのレコードだけが私の音楽のすべてでした。
おかげさまで阿久悠らの先生方によってこの頃の曲がかかるとグッと懐かしさがこみ上げてくるのであります。
それぞれの年代によって懐かしいものは変わってくるわけですが、この番組は私にとっては「うへー、懐かしいー」の連発でした。
しかし、それと同時に、こうしたアイドルを生み出したのはもともとは淡路島に住む東京に憧れるひとりの少年であったのだと思うわけです。
つまり、夢をかなえる側の人となった人も実は夢をかなえていた人だったというのが私的にはとても印象に残ったのでした。
ちなみに番組ではスター誕生の再現をしていましたが、山口百恵や桜田淳子の役で歌っている方の向こう側にトロンボーン奏者の佐野聡さんが映っていたので、こりゃ演奏もちゃんとして再現してるのだということがわかりました。
阿久悠は病床でも最後の最後までペンを放しませんでした。
書きたいことが次から次へあったのかもしれません。
さーて、私もテレビを観て感動している場合ではありません。
父と同じ年齢の阿久悠を見習ってではありませんが、私は私の夢をかなえていきたいなとあらためて思うのでした。
実話。
2008年8月5日(火)
最近、「地デジの準備はできてますか?」というCMが多く流れていますね。
昨日、私の両親の住む浦和に行って来たのですが、浦和の場合、ケーブルテレビになっていてテレビやアンテナを変えなくとも地デジのチャンネルが見られるようになっているのでした。
私の父は自慢げにこう言うのです。
「おい、ぢでじが映るようになったぞ」と。
私は「何? ぢでじ? もしかして地デジのこと?」と聞き返したのです。
父は「ん、ちでじって言うのか。でもあれは映らないんだ。あれ、えーと、バウバウってやつは…」。
私は一瞬?状態になりましたが、「バウバウじゃなくってWOWOWでしょ」と教えたのです。
すると台所からお茶を持ってやってきた母がこう言うではありませんか?
「おとうさんはあなぐろだから、そういうのわかんないのよ」。
あなぐろ!????
「おかあさん、それを言うならアナログだってば」。
私の実家はネタの宝庫なのです。
レスポールの映画。
2008年8月6日(水)
レス・ポールという方をご存知でしょうか?
「ギターの名前でしょ」。はい。そーでもあります。
レス・ポールさまはそう、あのギブソンのレスポールというギターを作った偉大なお方です。
このレス・ポールのドキュメンタリー映画「レス・ポールの伝説」がこの8月に公開されるのだそうです。
日本ではあまり知られていませんが、これまで5度もグラミー賞を受賞していたり、ロックの殿堂入りをしていたり、93歳にもなるというのにニューヨークのジャズクラブで毎週演奏もしていたり…。
いやー凄いっす。
この映画の出演はレス・ポール以外にキース・リチャーズ、ジェフ・ベック、ポール・マッカートニー、エドワード・ヴァン・ヘイレン、B.B.キング、トニー・ベネット、スティーブ・ミラー、ボニー・レイット、マール・ハガード 等々。
これらの方々がレス・ポールについて語ったりしているのでありましょう。
公開は2008年8月23日(土)より渋谷アップリンクXにて。
ということなのですが、本日、Dr.Kこと徳武弘文さんよりメールをいただいた内容によりますと、なんとこの「レス・ポールの伝説」が「お台場映画王」にて特別上映され、なんと映画の後にライブをするそうです。
徳武さんはなんとレス・ポールさまご本人と演奏したことがあるので、そういったご縁なのでしょう。
こちらは8月26日(火)19時からです。
場所はお台場のフジテレビ1Fのマルチシアター。
ゲストは徳武弘文& His Band:徳武孝音・六川正彦・マキ・ミキ・マユカ
詳細はこちら。
http://www.ponycanyon.co.jp/lespaul/
ぜひ菅波ひろみを知ってください。
2008年8月7日(木)
当店のレギュラー出演者にものすごく素晴らしいソウルシンガーがいます。
彼女の名前は菅波ひろみといいます。
ところが私と来たら、菅波さんがルースターへ最初にやってきたときの記憶がまったくないのです。
数年前、サックスだけの4人組、QUADRAのライブに飛び入りしたのが最初のはずなのですが、まったく覚えていないのです。
とは言うもののそういう方々は案外います。
レギュラー出演者のお知り合いで1曲歌うとか、弾くとか、そういう人の何パーセントかは私は覚えてないのです。
なぜかと言いますと、忘れてしまった方々には失礼ですが、それだけのインパクトがなかったからです。
私のゲストの定義はメインを食うくらい素晴らしいこと。
それができなければ飛び入りなんて必要なく、レギュラー陣だけでライブをやってもらうほうがよっぽどいいと思っているからです。
というわけで菅波ひろみさんも最初の印象はまったく無いのでした。
ところが、その後、彼女はまた現われたのです。
それはまだ当店が深夜の2時までバータイムを行っていた頃でした。
当時当店で働いていたピアニストのともちゃんが菅波さんを覚えていて、「マスター一緒にセッションしましょうよ」と誘ったのです。
ちょうど閉店時間くらいだったか、お客さんは知った顔だけだったので、「いっちょやりますか」という状況だったと思います。
それによって深夜のルースターで私とともちゃんと菅波さんとでセッションをしたのです。
それは単なる遊びのはずでした。
ところが、「うへー! な、なんだこの感動的な歌声は?」
私は驚きました。
その晩、私は菅波さんがなにか得体の知れぬとんでもない力を持ち合わせている人ではないかと思わされたのです。
聞けば、「福島県のいわき市から来ていて、東京で歌いたいのだけれどもミュージシャンの知り合いもおらず、どうしようかと思っているのです」とのこと。
そこで私は事あるごとに菅波さんにソウル系のミュージシャンというミュージシャンを紹介しまくっていきました。
それにより、まず当店においてはゼブラブラザースという開店当初より出演しているバンドのゲストとして1、2曲歌うことになったのでした。
この頃の菅波さんは歌はゾクゾクするほどうまいけれどもメインとしてルースターのステージに立つには歌ではなくステージングの力量が足りませんでした。
私は小さい虫けらみたいな人間ですから人様のことをどうのと言えるほどではまったくもってございません。
ただ、私がたったひとつだけこだわっているのがルースターのライブにおいてのステージング。
これがルースターの出演基準と言ってもよいくらい、こだわっている部分があるのです。
それを菅波さんはその後、徐々に兼ね備えていったのでした。
それから私は菅波さんの詳しいプロフィールを知ることになります。
実は彼女はこんな方だったのです。
10代の頃、アレサ・フランクリンを聴き影響を受けます。
花屋、編集、看板屋、ウェイトレスなどをしながらいわき市で歌っていましたが24歳の時、音楽出版会社にデモテープを送ったのです。
ところがいつまでたっても連絡はありません。
世は実力派女性シンガーが次々と出始めていました。
おそらく、日本中からデモテープも送られてきていたのでしょう。
歌手はあきらめ、菅波さんは結婚を決めたのでした。
しかし、なぜかその時、連絡が来たのです。
「今さらそんな」。
菅波さんは迷いました。
ところがご主人は「やってみろよ」と言ってくれたのです。
その言葉に後押しされ、菅波さんの東京での歌手生活が始まりました。
しかし、自分の意見も言えず、納得のいかない曲を歌う毎日が続きます。
同時にここでは書けませんが、いろんなことが重なり「もう歌いたくない」とまでに。
プロとしての最初の活動はたった1年間で終わってしまうのです。
いわきに戻った菅波さんは、いわき市内でゴスペル教室の先生となります。
同時に地元で歌うことも続け、市内ではちょっとした有名人に。
その後、2003年にニューオリンズで開催された「リジョイシン・ゴスペルフェスティバル」の会場で歌い。本物に触れて帰国。
「やっぱり東京で自分を試したい」という気持ちが強くなります。
翌年の2004年、「これが最後、もう一度東京で自分の力を試したい」と決意。
またしてもご主人は快く送り出してくれ、半分東京、半分いわきという生活が始まります。
さて東京へ来たものの、ジャズ系ライブハウスのオーディションでは評価は今ひとつでした。
前述のように当店にも飛び入りしますが、ジャズクラブと同じように私の記憶にも残らなかったのです。
ここからは先ほどの真夜中のセッション、ゼブラブラザースへとつながりますが、この期間を経た後、菅波さんの良さを見初めたミュージシャンたちが続々とバックアップしていきます。
そのおかげもあり、普通はちょっとやそっとでは出演できないようなお店に次々に出演が決まっていくのです。
それと同時に菅波さんは多くのミュージシャンからとてつもないほど多くのアドバイスをもらっていきます。
それはもう情報過多というくらいでした。
彼女は何が正しいのかわからないくらいに悩み、歌いました。
しかし、「菅波ひろみの歌を聴きたい」というお客さんはどんどん増えていきます。
それは歌のうまさもさることながら、いわき弁をさらけ出し、等身大、そして全身で歌うその姿と人間性に全員がノックアウトされていたからです。
きっと音楽のテクニックや理論ではなくストレートに心に響くものにやられたのです。私もそのひとりでした。
「感動する。元気になれる」。
まさにそのふたつが菅波ひろみのステージには確実にあったのです。
ライブ数はハンパでなくなり、競演ミュージシャンも大御所と呼ばれる方々が多くなります。
ですが、菅波さんは悩むのです。
「私はこのままじゃいけない」と。
昨年の大晦日のことです。
大晦日のルースターは毎年、年越しライブで満員御礼状態。
そこに「マスター、今年はルースターで年越しするね」と菅波さんがご主人とともにやってきたのです。
私は菅波さんに飛び入りを促しました。
彼女の迫力ある歌声に客席全員大喜び。
アンコールも鳴り止みません。
それはもうこれほどの大きなアンコールがかつてあったでしょうかというくらいでした。
その晩、ご主人は菅波さんに言ったそうです。
「もうちょっと東京でがんばってみなさい」と。
ルースターに初めて飛び入りした日の菅波さんの記憶は私にはもうありません。
しかし、昨年の大晦日の飛び入りはきっと一生忘れることはないと思います。
ぜひ、みなさんも一度、菅波ひろみさんの歌を聴きに来てください。
ロックの人も挨拶から。
2008年8月10日(日)
あるロック系のライブハウスに務めていた方からこんな話を聞きました。
「うちのお店は常に出演者を募集しているだけじゃなく、スタッフもしょっちゅう募集していた」と。
出演者は出演が決まってもずっと出演してはくれないし、スタッフは雇っても続かないからだそう。
この原因はそのライブハウスのオーナーの考え方にあると言っても過言ではないでしょう。
そのライブハウスが何をしたいのかが決まっていないまま毎日営業しているからそういうことになるのだと私は想像するのであります。
またそういうライブハウスに出演する側や働こうとする若者もそのライブハウスではいやな気分をしたりするわけでそれではみんな辞めてしまうのは無理も無いのです。
ライブハウスのコンセプトもない、誰でも出演させるみたいなところが横行しているようですが、しかし、それならばそれで出演者もスタッフも楽しくやれる環境を作ればよいと思うのです。
それをするためには、なによりも大切なのが「挨拶」だと思うのです。
挨拶なんて普通のことじゃない?
そう思っている方は常識人。
ライブハウスでは案外その常識を行っていない人が多いのでは?
ライブハウスに入ったらまず「今夜出演させていただく○○です。よろしくお願いします」というのが普通。
ロック系のライブハウスでは対バンがあることが常ですが、全員と挨拶していますか?
ライブハウスの人との最初の会話が「アンプこれ使っていいですか?」や「モニターもっと上げて」では、そのライブハウスに務めはじめたスタッフも「何このライブハウス、出演者が挨拶もしてくれないじゃないか」と嘆くのは当然なのです。
「ロックに挨拶なんかいらない」ということはありません。
挨拶ひとつできない人がお客さんを楽しませることができるでしょうか?
例を挙げるとわかりやすくなりますからちょっと書いてみましょう。
たとえば、披露宴にしても最初は硬い空気ですが、挨拶があったり紹介があったりして徐々に和やかになっていきます。
学校でもそうです。転校してきた生徒は必ず、担任の先生がみんなに紹介します。
それがなく、いきなり席に座っていたら他の生徒はびっくりしますよね。
先生でも新任の先生は最初に黒板に名前を書いて「私の名前は○○です。今日からこのクラスの担任をすることになりました」と挨拶します。
これがなくいきなり、「36ページを開いて」と言ったら生徒は「何だこの先生は!」と思うのです。
ところがライブハウスではどうでしょう?
もちろん全員がそうではありませんが、案外挨拶も無く、紹介も無くライブをして帰っている方が多いのではないでしょうか。
これではいけません。
ライブにおいてもメンバー紹介をしないバンドがいたり、ともすればお客さんよりもバンドの方が偉いと思っている場合も。
こうしたことを改善すべきはライブハウスのオーナーの仕事です。
なのにオーナーが来ていないライブハウスって多い。
それってどういうことなのか?
スタッフに任せて「稼いどいてね」という気分なのでしょうか。
出演者が挨拶できない。ライブハウスのスタッフが挨拶できない。
こんなことでは毎晩が素晴らしいライブというわけにはいかないのでは?
挨拶があって初めてコミュニケーションが始まるのです。
ぜひ楽しいライブハウスがいっぱいになってほしいなと思うのでありました。
世界一の長寿バトミントンプレイヤー。
2008年8月12日(火)
みなさん北京オリンピック観てますか?
見事世界新記録で北島康介選手が金メダルを獲得しましたね。
いやーでも水泳の実況中継って毎回、興奮しますよね。
「前畑頑張れ」はいつのことでしたか。
さて、今回の実況で特に凄かったのが、平泳ぎで残り20メートルとなったとき、解説の方が「落ち着いて!落ち着いてー」と絶叫しておりました。
あれあきらかに解説の方が落ち着いてなかったと思うのですがいかがなものでしょう。
それと私だけでしょうか?
北島康介のコメントを聞くとつい織田裕二を思い出してしまうのは…。
似てませんかねー、声。
「なんも言えないっす。レインボーブリッジ閉鎖できません」
って両者にぜひ言ってみてもらいたいす。
オリンピックの実況は上記の解説の方のようについ興奮してしまいがちです。
世界ランク1位の中国のペアを相手に大金星をあげたバトミントンのスエマエコンビの試合のときもアナウンサーはかなり凄いことを言っておりました。
「前田は鹿児島県の中央高校出身、166歳です!」
166センチと言いたかったのでしょうが、そのまま流されておりました。
いやー、もし長寿オリンピックというのがあったなら金メダルでしたね。
男の世界。
2008年8月17日(日)
私は来月、誕生日を迎えると46歳になります。
四捨五入すれば50歳になっちゃうのですねー。
いやー、まだまだ若いつもりでいたのですが、さすがに50歳が見えてくるとちょっと「うーん、マンダム」みたいな気分になります(意味不明)。
なぜに急に嘆いているのかと言いますと、実はこういう事件があったのです。
最近、暑かったので先々週でしたか、銀座サッシュという美容室におられる沖縄のシーサー似のカリスマ美容師にざっくりと髪の毛を切ってもらいました。
これによって長髪のイメージチェンジではなく、さわやか、かつダンディーでそれでいて少年の心を持つようなジャニーズ系を思わせる、都会派な(長すぎじゃ)…。
まあ、髪の毛を切ったわけです。
それで「せっかく髪の毛も切ったし、ついでにメガネも変えてみようかな」と思い立ったのでした。
最近のメガネ屋さんは、ヨン様がテレビCMしている「眼鏡市場」を筆頭に薄利多売傾向にあるようで、吉祥寺なども数多くのメガネ屋さんがしのぎを削っているのであります。
「ちょいとどんなものか覗いてみよう」と私は荻窪と吉祥寺のメガネ屋さんを回ってみました。
ところがです。
私の好みはちょっと普通ではなく、レンズが横長のいわゆるサングラスっぽいカタチのものが大好き。
しかし、そういう類のレンズは小さめのものはないのです。
メガネのレンズというのはご存知のように視力が悪いと厚くなります。
私の視力は0.04しかありません。
おまけに小顔ときてます。
いくらかっこいいメガネでもレンズが大きければ牛乳瓶の底状態になってしまうのです。
つまり、少しでもレンズ幅が狭いものを選ばねばなりません。
ところが、そうした条件に合うクールなメガネを探してみても皆無だったのです。
「くー、こうなったら以前一本作ったことがある阿佐ヶ谷のメガネ屋さんを尋ねてみるか」と思ったのでした。
阿佐ヶ谷のメガネ屋さんには以前私が作ったものと同じものが売られていました。
「うーむ、やはりこれが一番好きなんだなあ」とついに私は持っているものと色違いのフレームを選びました。
あちこち行ったメガネ屋さんで買ったら4本は買えてしまうであろうどえらい金額提示にひるみながらのファイナルアンサーでした。
さてさてやっと本題の事件です。
「ではお客様、視力を測りますのでこちらへどうぞ」。
私は小さな別室へ通され視力検査を受けたのです。
そこで店員さんに私はこう告げられるのであります。
「お客様、大変失礼ですが、老眼になられているようです」。
「ま、ま、ま、まじっすか? 童顔じゃなくて?」
ますます「うーん、マンダム」な気分にさせられたのでした(だから意味不明)。
8月22日は男にしびれる。
2008年8月17日(日)
今日はライブが今月の22日にあるカズ南沢さんについて書かせてください。
皆さんはカズ南沢さんをご存知でしたでしょうか?
私は「日本一かっこいいボーカリストのひとり」じゃないかと思っているのです。
しかもギターも弾かれるのですが、これがまた超かっこいいときています。
カズさんが歌うバンド(レイニーズバンド)のCDコメントでもあのユーミン様も賛辞を贈っているので、もちろん私ごときが絶賛しても始まりません。
でも皆さん、知らないですよね、カズ南沢さん。
一般的にはヒット曲があったりしないと知られることはありませんから知らなくても当然であります。
私とて、初めてカズさんの歌とギターを聴いたのは、たった10年前のこと。
しかも、カズさんを知っていて聴きに行ったわけではなかったのです。
ところが、「しびれるってこういうことなんだなあ」と実感しまくったのでした。
http://www.on.rim.or.jp/~ipa/raineys/p/
このURLにはカズさんのプロフィールが載っています。
これをじっくり読んでみてください。
「えー! そ、そーなんですか!」と思わざるを得ません。
ご自身で決断された部分もありますからなんとも言えませんが、後になってみると驚くべきことの繰り返しだったではありませんか!
このプロフィールを読むと「神様、稲尾様、後生ですからカズさんを世界中に知らしめてください」と祈ってしまいたくなるのは私だけではないはず。
でもまずはぜひ、その歌声を聴いてください。
そして一緒に感動しましょう。
ブルース・ギター塾という本。
2008年8月22日(金)
リットーミュージックより「ブルース・ギター塾」という本が出ました。
著者は亀井たくまさんという方。
私はこの方は存じ上げませんでしたが、この本にインタビューで登場する方々はお馴染みのギタリストでした。
当店に10年間出演しているローラーコースターの小出斉さん、最近は毎月の勢いで京都からやってきてくれるウエストロードブルースバンドの塩次伸二さん、そしてニューオリンズでお会いした山岸潤史さん、最後に当店にも出演があったシカゴで活躍する菊田俊介さん。
これらの方々のインタビューを読めば、「あー、俺もブルースギターを弾きたいなあ」と思うことは必至。
ところがこの本はブルース・ギター塾というタイトルの通り、教則本なのであります。
つまり、「俺も弾きたいなあと思ったら、この本で弾けるようになればいいじゃん」という寸法なのです。
ありがたいことにあらゆるブルースフレーズのタブ譜の解説があり、おまけにCDまで付いています。
うーむ、これならこれからブルースを始める方も楽勝ですなあ。
で、この本の凄いところが、「ギターを弾けるようになったらセッションへ行こう」と促しているところ。
当店の2号店、ルースター・ノースサイドの毎週月曜日のブルースセッションを含め、4軒のライブハウスのブルースセッション事情を取材し、それぞれ1ページカラーで掲載しているのです。
教則本で弾けるようになったらというアフターまで紹介してくるとは、さすがです。
この本をきっかけにブルースを好きになる方が増えてくれたらいいなあと思うのです。
残暑はゾクっと。
2008年8月23日(土)
私はその人が歌いだすや否や背中がゾクッといたしました。
ハスキーでブルージーな上に、ものすごい説得力のある歌声だったからです。
ジャズ界の重鎮ベーシストである池田芳夫さんが、「ものすごい人を連れてくるから楽しみにしていてね」と当店に連れてきてくれたのはもう何年前のことだったでしょう…。
その人の名前は赤坂由香利。
赤坂さんはジャズ以外のレパートリーも幅広いのですが、大きく分けるとジャズシンガー&ジャズピアニストということになります。
女性のジャズシンガーはそれはもう星の数ほどいらっしゃいます。
エラやヘレン・メリルなどは当然ながらゾクッとさせてくれます。
でも、私はなかなかゾクッとさせてくれるジャズシンガーに残念ながらあまり出会えておりませんでした。
赤坂由香利さんはその意味で、ゾクゾクものでした。
なにしろ、かのレイ・ブライアントにして絶賛してしまったというくらいです。
ご存知のようにジャズのCDというものはそれほどビッグセールスにはつながりません。
ゆえに長年プロの世界にいてもメジャーから次々リリースするという方は稀であります。
赤坂さんも大手からCDを出しているわけではありません。
ライブをしたお店で歌った際に買っていただいている状態に近いのです。
ところがです!
その売れる枚数がハンパではありません。
皆さん、ゾクッときてしまうのでしょう。
当店でも初めて赤坂さんの歌声を聴いた方の多くがCDを買って帰られるのです。
こういう現象はもちろん当店だけではありません。
赤坂さんは全国で歌っていますが、日本各地でそうなるのです。
ゆえにこれまで出した3枚のアルバムの内、2枚目までが売り切れ、追加プレスを何度も行っているのです。
それはしっかりと結果にも現われていました。
スイングジャーナルの第55回日本ジャズメン読者人気投票の女性シンガー部門において6位に輝いたのです。
上位陣は誰もが知っている名前ばかり、6位以下の方もです。
メジャーからリリースしている方々は雑誌にもカラーで広告が載りますし、宣伝もしてくれるでしょう。
しかし、赤坂さんは全国を歌い歩いた結果でこうなったのです。
これを本物の実力と呼ばずして何を本物と言いましょう。
ぜひ皆さんも一度はその歌声を聴いてみてください。
もうすぐ本店にてライブがありますのよ。
びっくりしたー。
2008年8月26日(火)
当店にほぼ毎月出演しているギタリストの竹中俊二さんのホームページを見たら、どうもマイスペースに移転されたようなのです。
このマイスペースというのは私はやっていないので詳しくはないのですが、海外の方々ともマイスペースともだちみたいな関係になれるらしいのです。
びっくりしたのは、竹中俊二さんのそのおともだちリスト!
日本のミュージシャンはもとより、なんとハービー・ハンコックやジェームズ・テイラー等々、スーパービッグな顔ぶれだったのです。
どうやってこういう方々とおともだちになれるのか?
いやー、ぶったまげです。
もしかしてもともと知り合いなのかもと思ったりもしたりして。
なぜなら、その他の顔ぶれは竹中さんと競演しているミュージシャンだったりしているのですから。
ん、待てよー。
ということは、ハービー・ハンコックは、私の知り合いの知り合いということに!
こりゃすげー(なんちって。がははー)。
ちなみに竹中さんは当店ではいろんなスタイルで登場しています。
いろんなスタイルというのはアフロだったり、スカート穿いて来たり…。
とかではないですよ。
ブラジル音楽だったり、インストR&Bだったり、フュージョンだったりです。
しかもそのギターのうまさといったら日本ではもちろんトップクラスでまさに世界で通用しまくる(本当に海外でも弾いてますが)レベル。
で、竹中さんの周りのミュージシャンがこれまたそのレベルの方々ばっかりなもので、恐れ入ります。
竹中さんの実家はジャズ喫茶。兄もギタリストだったそう。
そりゃ、影響受けまくりますっよねー。
ちなみに私の両親はクラシックですが、私の場合、影響というよりも反動でしょうかねー。
竹中さんのマイスペースはこちら。
http://www.myspace.com/shunzzytakenaka
スーパーラテンジャズオールスターズ。
2008年8月27日(水)
元オルケスタ・デラルス、現在は熱帯JAZZ楽団をはじめ、主要なラテンバンドやビッグバンドにひっぱりだこのトロンボーンプレイヤーといえば、そう中路英明さん。
この中路さんがリーダーであるロス・マエストロスのCDがついに発売されました。
メンバーは中路英明(tb)中島徹(pf)庵原良司(ts)安カ川大樹(b)大儀見元(perc)藤井摂(ds)の6人。
言わずと知れたスーパーミュージシャンたちであります。
このCDのタイトルを書きますよ。
いいですか? 書きますよ。
そのCDタイトルは「LIVE AT ROOSTER」!!!!!!
この名匠たちのルースターでのライブがレコーディングされ、それがライブ盤として出たわけです。
いやー、このタイトル、凄くないですか?
マジでやばいっす。
で、これ聴いてみたらものすごいクオリティなんです。
演奏はもちろんですけど、音が良い!
まるでスタジオ盤のようでした。
ロス・マエストロスのライブは11月18日・19日の2DAYS。
うーん、偉い先な話です。
これはもうCDを聴いて待てってことすかね。
これこそが王道なりとフライヤーに書いてありますが、ほんと、これ世界中の方々になんとか聴いてもらえないかなあと思います。
レイニーズバンドの新譜が出る。
2008年8月28日(木)
日本一かっこいいと思うボーカリスト、カズ南沢さんが歌うバンド、レイニーズバンドの新譜が9月24日に出るのであります。
メンバーの核はカズ南沢さん、レイニーズ加藤さん、ボブ斉藤さんで、前作同様大勢のミュージシャンがCDに参加しています。
アルバムタイトルは「PUSH!」。
2年前に出たCDも素晴らしかったのですが、今回はこれがまた「大人じゃーん」な内容。
私ごときが「大人じゃーん」と言っても似合いませんが、なにしろR&Bとソウル、ロックを融合した仕上がりで、なんでも「アーバン・ロック」というジャンルを確立した作品であるそう。
こういうのを大人な空気で歌えるって凄いなあと思わされますし、演奏は相変らずグルーブバリバリだし、さすがです。
これもがつーんと世に知らしめたいCDの一枚。
うーん、こういうCDこそ売れてほしいなあ。
弘田三枝子はとんでもないぞ。
2008年8月30日(土)
弘田三枝子といえば1969年に「人形の家」で日本レコード大賞の歌唱賞を受賞以来、紅白歌合戦にも8回出場を果たすなど国民的な流行歌手として知られています。
ところが!
私は今年発売された「MICO JAZZING」という弘田三枝子のCDを聴いてかなりぶっ飛びました。
「うわお。完全にジャズシンガーではないか」と。
最近、流行のジャズでも歌ってみようかという元アイドルの路線なんかではなく、歌い方が、ジャズシンガーそのものだったのです。
「これはいったいどういうことなのか?」
弘田三枝子のプロフィールを読んで私はさらにぶっ飛んでしまったのです。
実は1965年に日本人歌手として初めて、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演していたというからです。
驚くべきことに小学校2年生から米軍キャンプでジャズを歌っており、その実力が評価されたということだそう。
しかもニューポート・ジャズ・フェスティバルでの出演は3日目のトリ!
この前日のトリはカーメン・マクレーン、最終日のトリはフランク・シナトラだったといいます。
いえーい!これはBADだぜ(ちょいとアメリカ風に)。
このとき、このジャズフェスには、スタン・ゲッツやジョン・コルトレーン、ウェス・モンゴメリー、デューク・エリントンらが出演していたそう。
うーむ、弘田三枝子恐るべし。
日本にはこんなジャズシンガーがいたのだった!
CDを見てみると録音メンバーにはルースターの常連、ドラマー平山惠勇さんや、一昨日出演したばかりの納浩一さん、28日に終演したグレッグ・リーさんらのクレジットがありました。
うーむ、弘田三枝子さんは実際はどんな人なのだろう。
平山さんに電話してみようと思うのでした。
港町、横浜はジャズが似合う。
2008年8月30日(土)
今年も10月11日・12日に横濱ジャズプロムナードが開催されます。
今年のテーマは「温故知新」だそう。
横浜開港150年を目前に古きを温めようということかもしれません。
http://www.jazzpro.jp/home/index.html
これ、横濱ジャズプロムナードのホームページです。
出演者はおなじみの方々ですね。
横浜は港町ですが、ジャズシーンは明らかに東京よりも条件は良いように思います。
どういいうことかと言いますと、横浜のジャズクラブに行ってみると、ライブを聴くことが一般の方々に広く浸透していることがわかります。
ジャズメンのファンでなくともライブは聴きに行く、これが日常。
ジャズが好きなので、ミュージシャンは知らなくてもライブは聴いてくれる。
そういう街が、港町、横浜なのです。
私の住む、荻窪の隣に阿佐ヶ谷がありまして、こちらでもジャズフェスがありますが、では阿佐ヶ谷にジャズのお店は何件あるのかというと…。
荻窪はどうか…。
いやー、横浜にはジャズが似合います。
当店もなんとかせねばいけませんなあ。