私の夢。
2007年12月1日(土)
いやー、早いものでもう12月ですね。
光陰矢のごとしと言いますが、やはりある程度年齢を重ねて参りますと、時間の速度はどんどん早くなっていくような気がします。
なにしろライブハウスというものは2、3ヶ月先のスケジュールを組んでいくのでその意味ではスケジュールだけはとっくに年越ししているのですから。
私は現在、45歳。
60歳になったときには日本はもちろん、アメリカやヨーロッパにもその名をとどろかすようなライブハウスを作っていて、「いやー諸君、やっとるかねー」とか言いながら葉巻に縦じまのスーツで出勤。
そして「浅草の今半で飯でも食ってくるから、あとはよろしく頼むねー」とオープンカーで去って行くようなおじさんになろうと思っています。
しかし、あと15年しかないではありませんか。
そういえば、私は小学校の卒業アルバムに「将来はプロ野球選手になりたい」と書いた記憶があります。
この頃の夢というのは本当に夢であって、どうやったらそれが実現するのかについてははあまり考えてはいなかったはず。
ところが45歳にもなってくるとさすがに将来、「私はプロ野球選手になりたい」などとあほな夢は語らなくなってきます。
それはなぜかと言いますと、もちろん現実的ではないからです。
では60歳になったときにオープンカーで今半へ行くのは現実的ではないかと言うと、実はかなり現実的ではないかと思うのです。
問題は現状のままでは実現できそうに無いということであります。
つまりは現状打破。
毎晩、入りきれないくらいのお客さんがやってきて半年先まで予約でいっぱいという三ツ星レストランばりにならねばなりません。
そうなるためにはどうしたらよいか?
そーです思い切った作戦が必要となるわけです。
その作戦とは?
いやいや、それがわかればとっくにやっているかもですなあ。
本当に嬉しい取材とは。
2007年12月5日(水)
荻窪はけっこうな豪邸が多いのです。
きっと昔、荻窪が畑や田んぼとかあったころに土地を買われてずっと住んでおられるのでしょう。
ところが、そんな豪邸が続々と姿を消してマンションなどになっているのです。
祖父が亡くなられて息子さんに土地と建物を譲るとなると固定資産税の問題が浮上してくるのですが、豪邸が姿を消していく背景にはきっとこのような背景があるのではないかと推察します。
そこで私もマンションを買おうかと思っています。
なーんて夢のようなお話ではありません。
そうではなくて、なんでも「荻窪に新しいマンションを建てるので購入ターゲット向けの荻窪紹介小冊子を作りたいからルースターさんを取材させて欲しい」という依頼があったのです。
以前にも何度かマンションのチラシに荻窪紹介で掲載していただいておりましたが、いつもは電話取材で「写真を送ってください」と言われる程度のことでした。
しかし、今回はなんと3名もの取材陣がやってきたのであります。
取材日は昨夜。
出演は関恭史(p)藤田明夫(as.fl)高橋ゲタ夫(b)平川象士(d)に谷口英治(cl)の皆さん。
この方々がまた信じられないくらい素晴らしいラテンジャズを演奏をしてくださるので、ほぼ満席の店内は大盛り上がり。
取材陣3名の方々は来られたときはめちゃめちゃ仕事ムード。
さくっと帰られるかと思いきや、目の前で巻き起こるライブに大興奮。
最終的には我を忘れて「アンコールーー!」と叫んでおられました。
これは本当に嬉しいことであります。
「こんなに楽しい思いは久しぶりでした。冊子に本当に良いお店を紹介できることが我々も自慢になりますね」と取材陣。
私も昔そういう仕事をしていたのでよくわかりますが、取材で読者に心底本当におすすめしたいというお店に出会うのは難しいことでした。
何が美味しいとか何が珍しいとかは雑誌などでは特に目新しくも無く、いわば普通であるからです。
取材陣の皆さんにとってルースターの取材が大成功であったということは彼らの喜んでくれた姿を見て手に取るようにわかりました。
荻窪を紹介する冊子でどーんとルースターが取り上げられるというのは大変光栄であります。
なにしろ荻窪には名店が目白押しですし、実際に取材に来られて仕事を忘れて喜んでくださったわけですから取材される側も大喜びです。
昔、同じような仕事をしていた私にとって取材でこれほど大喜びした経験はありませんでした。
その意味で彼らの喜んだ姿が人一倍嬉しいのでした。
やればできるのね。
2007年12月7日(金)
今夜出演した佑記奈桜さんがMCでこんなことをしゃべっておりました。
とある飲み屋さんのカウンターで飲んでいたら50代と思しきおばさまがやってきたそう。
おばさんはカウンターに座るなり、ママさんにこう言ったのだそうです。
「やったわよー!」。
なにをやったのかと耳をそばだてて聞いているとなんと泳いで津軽海峡を渡ったのだそうです。
しかも、水泳は50歳になってから習ったらしい。
どこからみてもごく普通のおばさまが泳いで津軽海峡を渡るとはとんでもなくびっくりです。
ご存知、津軽海峡とは北海道と本州の間にある海峡。
ではその幅はどれくらいあるのか調べてみると一番狭いところでも亀田半島の汐首岬と下北半島の大間崎の間で、約18.7km。
足の着くプールならともかく海ですからものすごい勇気あるおばさんだと言えましょう。
話をさらに聞いているとどうやらドーバー海峡を泳いで渡った経験もあるらしい。
ドーバー海峡は遠泳のコースとして世界中のスイマーが憧れる海峡らしく、その幅34km。
いやいや、恐ろしい。
これが50歳から水泳を習ったおばさまがやったというのですから驚きですね。
人間やればできるのですね。
いやー、参考になります。やる気が出る話でした。
ちなみに私は絶対にやりませんけど。
私はトラックの運転手なのです。
2007年12月9日(日)
ルースターは2年前までは閉店時間が深夜2時でありました。
現在は夜の12時に閉店しているのでライブ後に飲みに来られる方は限られていますが、当時、深夜のルースターには実にいろんなお客さんがおりました。
その中のひとり、Hさんが先日ひょっこりと顔を出してくれたのです。
彼の特技は占い。
4年前くらいだったか、Hさんとこんな会話をしたのです。
Hさんが「昨晩、マスターの夢を見ましたよ」と彼が言うので私は「どんな夢だったか」と聞いたのです。
すると、「トラックのような大きな車を運転していました」とHさん。
私は「えー、まさか、お店がうまくいかなくなって私がトラックの運転手をすることになるの?」
たしかそんな会話をしていたのです。
久々に来店したHさんに「そんな話をしたのを覚えてる?」と聞くと、Hさんはこう言うのです。
「いや、マスター、それは将来、トラックの運転手をするという意味ではないんです。マスターはコンボイみたいなおおきなトラックを運転していて、運んでいる荷物は実はマスターのやっている夢や実績なんです」。
うひょ。さすがは占いが特技のHさん。言うことがそれ風です。
さらに続けてこう言いました。
「トラックの荷物というのはたとえダイヤモンドを積んでいようが、走っているときは荷物にしか過ぎません。荷物の価値が決まるのはそれを荷台から下ろしてからなんです」。
なんという占い師的表現。恐れ入っているとさらにこんなことを言ってくれたのです。
「マスター、マスターの荷物はもうすぐ、いや少なくとも4,5年以内には届けることができますよ。その荷物を下ろしたときにマスターは思わぬ方向からとてつもない評価を受けるはずです」と。
「うほ。もしかしてその夢はいい話だったの?」と私。
Hさんは私の手相を見ると、「ほらやっぱりそうだ。当時のマスターはああしよう、こうしたらどうだといろいろ考えてやっていたでしょ。それが数年経って周りが認めてきてるんです。だから手相が変わってきてる。その評価が思わぬところから認められる日が近いということなんですよ」。
「な、なるほど、じゃあ、当時の私は大きなトラックに夢を積んで長距離を走り出したところだったのか」。
「はい。もうすぐ目的地が見えてきますよ」とHさん。
さて、その目的地までの距離はあとどれくらいなのでしょう。
そして思わぬところからの評価とはいったいなんなのか?
わくわくしながら走りたいと思います。
荻窪「日の出商店街」のBGM。
2007年12月10日(月)
私は当店の2号店、ルースター・ノースサイドへの行き帰りに荻窪駅西口、北側の「日の出商店街」を通ります。
ここは商店街と言ってもほとんど50メートルほどで飲み屋さんばかり。
夜、通るとカラオケの歌声が聴こえてきたり、「社長、今夜いかがすか?」みたいな声が掛かったり、いかにも飲み屋街的雰囲気を漂わせております。
こういう雰囲気はとても苦手なのですが、ノースサイドへの一番の近道ゆえに通ってしまうのです。
いつもこの商店街を通ると、誰が流しているのかカンツォーネやクラシックなど音楽が聴こえてきます。
選曲は「どうなのこれ?」的なものが多いのですが、今日と言う今日はぶっ飛びました。
なんとチャールズ・ブラウンの名曲、「メリー・クリスマス・ベイビー」が流れていたからです。
「うおーーーーーーー。荻窪の商店街でブルースが流れているーーーーーーー!」
いつもの怪しげな通りがバラ色の道に見えたのは言うまでもありません。
私は軽くスキップしながら3歩進んで2歩下がりながら通り過ぎました。
いやーーーーー、商店街でブルースですよ。
夢のようですね。ここはシカゴかニューオリンズか?
「ついに荻窪も音楽の街になってくれたのか」と大興奮でありました。
もしかしたらこの曲が流れて小躍りしているのは私だけかもしれませんが。
あなどれないまかないの巻。
2007年12月19日(水)
ルースターのスタッフはいったいいつご飯を食べているのか?
そんなことはきっと誰も気にかけないでしょう。
ところが、まれにメニューをまじまじと見ながら「今、何を作っているのですか?」とカウンター越しに聞いてくるお客さんがいらっしゃる。
なぜ急にそんなことを聞いてこられるのかといいますと、メニューに見当たらないおいしそうな香りがカウンターへ漂っていくからであります。
これはいわゆる「まかない」を作っているのであります。
あ、いえいえ、これは決してスタッフだけが美味しいものを食べているのではありませぬ。誤解なさらぬよう。
我々スタッフはお店のメニューを食べてばかりではさすがに飽きてしまいます。
そこで毎晩、何がしかまかないを作るのです。
しかし、まかないも毎晩となるとご家庭の主婦と同様、「今晩は何を作ろうか」という献立の悩みが浮上してきます。
ところが、これがなんとやら。
ここからルースターのグランドメニューへと昇格していく場合もあるのです。
「マスターが大好きな上海風塩焼きそば」などはもともとは他店で食べたのがきっかけ。
「これうまいねー、まかないで作ってみようか」ということになり、その後しっかりルースターのメニューになってしまったのです。
開店以来、約10年。
こうしてメニューはどんどん変化して参りました。
ところが!
実はここだけの話(果たしてここだけか?)ですが、来年からメニューを一新するつもりなのであります。
しかもですよ、おつまみがかつてないほどの充実ぶりになるはず(書いている自分がちょっと楽しみ)。
さあ、何が飛び出すかどうぞお楽しみに。
フライパンを振ろう。
2007年12月22日(土)
もう27年も前の話になってしまいます。
大学へ進学したため、初めて一人暮らしをしたのです。
住んだのは小田急線の町田。
当時の町田はまだ東急ハンズこそありませんでしたが、それはそれは一大繁華街で、商店街はどこまでも続いており、デパートもいくつもありました(「みどりや」なんてのもありましたっけ)。
小田急線といえば、今でこそ若者の街は下北沢でありますが、当時の町田は下北沢に負けないくらい、いやある面では下北沢よりもおしゃれな街であったのではないかと思われます。
さて、一人暮らしをすると初めての体験だらけになります。
自炊なんてその最たるもの。
記念すべき初めての一人暮らしの夜はカレーライスを作ったのでありました。
その味はもう覚えてはいませんが、自分で作ったカレーを一人だけで食べるのはなんだかとても寂しい気がしたものです。
なにしろ部屋にはテレビすらなかったのですから。
もうひとつの初めての大きな体験はアルバイトでした。
今はもうありませんが「ふきのとう」という小さな個人経営の居酒屋で働いたのです。
初めて自炊をするような私が、いきなりお客様に出すおつまみなどを作るのです。
しかも初アルバイトです。
そのプレッシャーは大変なものでした。
とはいえ、難しいものはお店のマスターがやりますので私は簡単なものだけ。
しかし、フライパンを振って自分が作ったものをお客様が食べるのを見るのも悪い気はしなかったものでした。
あ、そうそう、脱線しますが、このお店のBGMはカセットテープ。
泉谷しげるとかがかかっておりまして、なんだかフォーキーな感じ。
私はマスターに「BGM持ってきていいですか?」と言うとあっさりOK。
当時のベストヒットUSAみたいなのを作ってかけておりました。
と、話は戻りましていよいよ本題。
そんなフライパンを振っていたころ美味しかったメニューをひそかにまかないでチャレンジしてみたのです。
「うーん、うまい!」。
これもメニューにするかも。
いやー、面白くなってきましたよー。
今年もやります。カウントダウンライブ。
2007年12月23日(日)
早いものでもう2007年が終ろうとしております。
毎年のことなのですが、大晦日はどえらいことになります。
夜の8時からステージがはじまって終了は朝の5時とかになっちゃう。
つまり今年の大晦日もまた8時間耐久ライブを行うのです。
多くのライブハウスが豪華ミュージシャンのカウントダウンライブを行っているのは皆さんご存知の通り。
それに対して我がルースターは私率いる「ぶちかま志郎&左足ブラザース」ほかという告知しかしておりません。
誰も私がやっているそんなバンドなんか知りません(泣笑)。
これは、出演者のネームバリューでお客さんを集めようというライブハウスに真っ向から対決を挑んでいるわけです(爆笑)。
それにも関わらず毎年老若男女100名位のお客さんがルースターの大晦日にやってきてくれます。
この方々は私のバンドのファンなんかじゃありませんぞ。
なんというありがたいことでしょう?
実はルースターは基本的な考え方が一般のライブハウスとは大きく違うのであります。
通常のライブハウスのカウントダウンライブは「誰々のライブで新年を迎えよう」ということであって大晦日はいつもよりも高い料金だったりします。
ところがルースターの場合は大晦日は「一年のルースターのご愛顧に感謝して行うお客さんに楽しんでいただこうというライブ」がコンセプト。
チャージはなんと無料なのです。
つまり、普通のライブハウスと基本姿勢がまったく違うわけです。
うーん、素晴らしい。
でもライブハウスの認識と言うのは多くの方が間違っています。
私は普通のお店となんら変わらないと思います。
とすればお客様感謝セールのようなものがあって当然ですよねー。
新年より、新メニューに移行するため大晦日はとんでもないバーゲンセールに突入するやも。
どうぞルースターに初めての方もお気軽にお越しくださいませ。
そしてルースターで楽しく2008年を迎えましょう!
家電は安くなったもんだ。
2007年12月25日(火)
私が初めて電子レンジを使ったのはたしか小学校高学年の頃だったかと思います。
当時の値段は安いものでも10万円くらいではなかったかと記憶しております。
これはかなりの贅沢品。
それはそれは高価なものですから、私の親はずいぶん奮発したものだと思います。
映画「3丁目の夕日」ではありませんが、電子レンジが届くまで、ソワソワし、どこに置くかでもめてしまう家庭なんて今ではそうそうありませんよね。
ところで、なぜ電子レンジを置く場所に悩むのかでありますが、私の実家は台所と居間(和室)との距離がけっこう離れておりまして、おそらく台所に置くと食事中、ちょっとお酒を温めたいときなど不便。
ところが居間は四畳半。
真ん中に座卓があって隅には家具調のカラーテレビ(キドポンパ)。
食器棚もありましたが、当時、電子レンジなる製品を置くという想定になっている食器棚など一般家庭にはあろうはずもないのです。
まして当時の電子レンジは大きく、とてもではありませんが入りません。
つまり、ちょうどよい場所が無かったのです。
両親は悩みました。
なんとその置き場所はあろうことか居間の押入れの中に決定したのであります。
普段は押入れの戸は閉まっていて、電子レンジを使用するときだけ開けるのでした。
ご開帳でどーんであります。
こどもの私はともだちが遊びに来ると用も無いのに押入れを開けて見せたりしてちょっと「エヘン!」モード。
ともだちは最先端の電子レンジに驚いた様子でしたが、今思えば置き場所に驚いていたにすぎなかったかもしれません(笑)。
今の実家にある電子レンジはもちろん当時のものではなく、何台目かのそれですが、どうやら故障してしまったそう。
身体の悪い両親は「電子レンジと、ついでにあれとこれを買ってきてほしい」と電話で私に頼むのでした。
「電子レンジはただスイッチを押して温めるだけの簡単なやつがいい」ということだったので「それじゃ一番安いのを買ってくる」と私。
ちょいと早起きをして車で一路浦和へいざ出陣。
大型家電店に行って買った電子レンジの値段は驚きの9800円。
当時の十分の一の値段になっているではありませんか。
いやー、これを考えると親の時代は大変でしたねー。
でも今思えば初めて電子レンジがやってきたとき、私の父は現在の私よりもはるかに年下であったわけです。
むー、私ももっとがんばらなければいけませんねー。
ところで、電子レンジの価格は親の世代よりも十分の一になっています。
もしかすると次の世代はまた十分の一になるやもしれません。
すると電子レンジは980円で買える時代が来るのです。
こうなると電器メーカーさんはそうとう大変ですな。ぎゃはは。